昔々の出来事 その2
今思うと、小学生の時に、もっと適切な言葉かけがあったら、無条件の愛を肝心な時にかけていたらこんなことにはならずに済んだのだと思います。
実は一人暮らしを進めてくれた人がいます。テレビでも時折見かける話題の「熱血おばさん」です。今ほどの知名度もなく私は新聞の連載で知ったのです。彼女に行き付くまで様々な所や、様々な有名な人、肩書きのある人を訪ね歩いたのですが、息子に会って話してくれたのは、彼女だけです。
そんな、こんなで、彼が一人暮らしになって母はホッとしたのも束の間、今度は学校からことあるごとく親の呼び出しです。なんせ私生活はきっと私の想像を超えるものだったはずですから。
バイクを校庭で乗り回した、同級生にビールを買いに走らせた、教頭先生に暴言を吐いた、大家さんから夜中にやかましい。など、、。授業はまともに前を向いて聞いていたこともなく、(前を向いて聞いていれば、職員室で話題になったそうです) 体育においては着替えすらせず、いつも三学期の春休みに、ランニングで単位をもらうという、ぎりぎりの単位獲得。
そのたびに足を運んで両親で頭を下げ、なんとか進級できるよう先生に相談し、初めの2年は、こんなことの繰り返しでした。(もっと迷惑をかけた方がまだいるかもしれません) もう、いつ止めても仕方がない状態でした。
そして4年間、たくさんいた生徒の数も半分以下ほどの人数になり、なんとか生き残りやっと卒業できたのです。ギリギリで。(夜間高校では卒業できる生徒の数が入学の半分にも満たないのは珍しくありません)
母として思うことは、この事実は、決して忘れない、腹の奥の奥にしまって、今からをどうして幸せに生きるかということを考えること。彼の考える幸せは母の考えてるそれとは絶対に違うこと。その幸せにたとえ反対でも、応援をしてあげること。距離間をもってなおかつ相手を見て(観察をして) 話せるいい関係を結ぶこと。
後に、ミュージシャンという立派な名目は、2年ほどであえなく消え去って、(高価なギターだけが残っているが、大切な宝物のようで引越しをするたびに大事に運んでいる) レーシングが好きで、自動車整備士の資格を取るため、自動車短大で学び、現在は横浜で特殊自動車の製造に携わっているようである。
昔々の苦くも懐かしい思い出です。 しかし、現在進行形です。(お腹の底には爆弾をまだ抱えています、今でもどんな覚悟でもできるつもりです。)
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